ラブレター2
放課後、友達に別れを告げると、由紀は浮かない顔で旧校舎に向かっていた。あの写真に写っていたのは間違いなく自分だった。そしてそれが靴箱に入っていたということは、入れた人間も、それが由紀だと知っていることになる。由紀は、保健室で体温を計られていた時に見たベッドのカーテンの隙間を思い出していた。
封筒に入っていた紙に書かれていた内容は、文面こそ丁寧だったが、有無を言わせぬ力があった。つまり、由紀にはそれを断るという選択肢は用意されていなかった。そして、写真の封入と旧校舎への呼び出しという流れから、由紀の脳裏には最悪の事態もよぎっていた。だが、由紀はなるべくそのことを考えないようにしていた。誰が何の用で靴箱に写真を入れたのか、とにかく行ってみなければ何もわからないのだと自分に言い聞かせていたのだ。
一旦校門を出て、旧校舎へ向かう。S大学付属第一中学校は昔からある名門だが、それ故に校舎を含めた施設の老朽化も進んでいた。そのため、最近になって新しい校舎を隣の敷地に建設したのだった。
由紀は辺りを見回してから、旧校舎の敷地内に入った。旧校舎は立ち入り禁止だ。校舎へ続く道の舗装は綺麗だったが、両脇にあるつつじの植え込みは伸び放題で、全体的に荒れた印象を受ける。少し歩いたところで、正面玄関に着いた。
正面玄関のガラス扉には、大きく立ち入り禁止と書かれた札が掛けられている。扉にはもちろん鍵が掛かっているだろう。旧校舎まで来てみたものの、由紀はこれからどうすればよいのかわからず、キョロキョロと辺りを見回した。
「おい」
突然声を掛けられて、由紀の身体が一瞬ビクリとした。声のした方を振り返ると、そこには知っている顔があった。
「相川・・・くん?」
相川と呼ばれたその男は、由紀のクラスメートだ。いわゆる不良という奴だったが、特に腕っぷしが強いとか、男気があるというわけではなかった。むしろその逆で、弱い者にだけ強く、強い者には低姿勢になる男だった。加えて自己中心的で性格も悪く、クラスの嫌われ者だった。だが、3年生の不良とつるんでいるため、クラスの誰も何も言えなかった。由紀も表立って口にしたことはなかったが、相川のことをあまり好きではなかった。
「あ、あの───」
「来いよ」
由紀が写真のことを口にしようとしたのを打ち消すように、相川が言った。そして返事を待たずにスタスタと歩き始める。由紀は仕方なく相川の後をついて行った。校舎裏の職員用駐車場を抜け、プレハブの倉庫の脇を通って辿り着いたのは、体育館だった。
由紀は、体育館のガラス扉の奥に目を凝らした。だが、ガラス扉の奥にはさらに木製の戸があり、体育館の中までは見えなかった。
「そっちじゃねぇよ」
由紀が視線を移すと、相川は体育館の入り口ではなく、隣の建物の方を向いていた。由紀は、体育館じゃないんだと思いながら、隣にある少し小さめの建物が一体何なのか見極めようとした。大きさ自体は、体育館の半分もない。さっき通り過ぎたプレハブの倉庫を少し大きくした程度だ。だが、造りはしっかりしていそうだった。
相川は、由紀に向かって手招きをしてから、建物に入っていった。ここは旧校舎の奥、校門からはかなりの距離がある。削り出した山と体育館に挟まれており、校門側にはプレハブの倉庫があるため、周りからはほとんど見えない。由紀は、そこが隠れて何かをするのに非常に都合が良い場所とも知らず、相川に続いて建物の中に入った。
「靴はここに入れろ」
相川に言われ、脱いだ靴をロッカーの影に置いた。入り口を抜けてすぐのところに、沢山のロッカーが並んでいる。どうやら着替えをするスペースのようだった。その奥に両開きの扉があり、その片方だけにノブが付いていた。
「入れよ」
由紀はちらりと相川を見た。この扉をくぐれば不幸が待っていると薄々感じながらも、これは夢なのではないかという気もした。由紀は、これから起こる出来事への不安と現実逃避の気持ちが入り混じった、不思議な感覚の中に居た。そして、相川が開いた扉の奥に向かって、吸い込まれるように歩みを進めていった。
「おおー」
由紀が部屋に入った途端、どよめくような声が響いた。見ると、3人の男が床に足を投げ出し、壁にもたれかかるようにして座っている。由紀は思わず胸の前でカバンを抱き、入り口の傍に立ち尽くした。と、後ろでガチャリと扉の閉まる音がした。そして、相川が由紀の肩を両手で押して来た。由紀が慌てて振り返るが、相川は有無を言わさず由紀を部屋の中央にぐいぐいと押して移動させた。
「おお?カワイイじゃん」
「へぇ、結城にしちゃ上出来じゃね?」
男達は口々に由紀の批評を始める。3人の内2人の顔には見覚えがあった。由紀と同じ学校の3年生、これもいわゆる不良という奴だ。丸刈りの男とリーゼントの男、名前は思い出せなかった。相川がつるんでいる不良というのはこの2人だと由紀は直感的に思った。だが、残る1人は誰なのかわからなかった。1人だけ髪の色が金色だった。そして何より、体格が他の2人とは違う。恐らく中学生じゃないと由紀は思った。
「ねぇ、キミが後藤由紀ちゃん?」
「は、はい」
「かわいいねぇ」
初対面の男、それも一見して不良とわかる男にかわいいと言われて、由紀は言葉が出ない。ただ、不安げな瞳で3人を見詰め、両手でカバンを抱きしめることしかできなかった。
「おいおい、恐がってんじゃねぇか。お前らちょっとは気を遣えよ」
由紀が唯一顔を知らない男が、初めて口を開いた。由紀は改めてその男を見る。金髪に加えて薄い眉と細い目、血色の悪い肌、そして薄汚れたツナギという服装に、嫌悪感を覚えてしまう。不良、チンピラという言葉が浮かんでは消え、由紀の不安はどんどん大きくなってゆく。
「すんません、へへ・・・」
丸刈りの男が、ニヤニヤしながら言った。どうやら3人の中で最も立場が上なのは、金髪の男のようだ。相川がこの3人より上とは考えられないため、自動的に金髪の男がボスということになる。と、金髪の男が立ち上がった。それだけで由紀はビクリとした。
男は由紀の傍に来ると、ゆっくりと由紀の周りを歩き始めた。そして、制服に覆われた由紀の身体に舐めるような視線を這わせる。真っ白なブラウスに覆われた胸元、薄っすらと透けて見えるタンクトップ、プリーツスカート越しにふっくらとした丸みを見せるお尻───。由紀の周りをほぼ1周し、再び正面に戻ったところで男は口を開いた。
「写真は見てくれた?」
妙に優しい調子だった。由紀は、写真を撮ったのはこの男なのだろうかと思った。けれど、一体どうやって・・・と考えたところで、再び男が言った。
「写真は見たかって訊いてんだよ」
さっきとは明らかに違う、由紀を威嚇する喋り方だった。
「は、はい、見ました」
由紀が返事をすると、男は満足したように笑った。そして、続ける。
「あの写真、どうしようか?」
由紀は答えることが出来ない。こういう言い方をするということは、由紀に渡した1枚は複製だということなのだろう。返して欲しいと言いたかったが、声が出ない。
「返して欲しい?」
「は、はい」
思っていたことを先に言われ、返事と共に表情に気持ちが表れる。
「じゃあさぁ、俺らの言うこときいてくれたらあの写真は返してあげてもいいけど。言うこときいてくれる?」
「俺らの言うこと」とは何なのか訊きたかったが、喉に何かが詰まったかのように声がでない。自分では気付いていないが、由紀はひどく緊張していた。それもそのはずである。明らかに不良とわかる男達4人に対して、中学2年生の少女がたった1人で対峙しているのだ。普通で居られるわけがなかった。
「言うこときくなら返してやるっつってんだよ。きくのかきかねぇのか、どっちだよ?」
再び男の声色が変わった。由紀には1つの選択肢しか残されていなかった。
「ききます、ききますから、あの・・・写真は返してください」
「お~、話がわかるじゃねぇか。安心しな、ちゃんと俺たちの言うことをきいたら、写真は返してやるよ」
「田原さん、恐がってますよ。人のこと言えないじゃないですか」
ぎゃははという下品な笑い声と共に、丸刈りの男がはやし立てた。
「ばーか、俺はちゃんと訊いてあげただろ?由紀ちゃんがそうするっつーんだから。俺は女の子には優しいんだよ」
そう言って同じように下品な笑い声を上げる。どうやら、リーダー格のこの男の名前は、田原と言うらしい。不良たちのやり取りの間、由紀は一歩も動けずにただ立っているのが精一杯だった。
「カバン見せてくれる?」
そう言って田原は、半ば奪い取るようにして由紀のカバンを手に取った。由紀は、「あっ」と声を上げて思わず手を伸ばしたが、田原はそれを無視してカバンを丸刈りとリーゼントのところに投げた。2人の男はカバンを受け取ると、持ち主がすぐそこに居ることなど全く気にする素振りも見せず、中身を床にひっくり返した。
「あっ!」
由紀が思わず叫ぶ。許可無く突然カバンの中身をひっくり返されたのだから当然だ。
「ん?どうかした?」
田原がわざとらしく尋ねる。その顔には、醜い笑みが浮かんでいる。これも「俺らの言うこと」のうちなのだろうか。由紀は、それ以上何も言えなかった。
「ん~、この部屋ジムみたいだねぇ」
田原がわざとらしく辺りを見回して言った。由紀も、ちゃんと聞いていることをアピールするかのように辺りを見回した。スポーツジムのように綺麗ではないが、簡単な筋力トレーニングを行う機材が壁際に並べられている。他にも大きなマットや鏡などもある。新校舎に移る際、古い機材が放置された結果だった。比較的長い時間人は立ち入っていないはずだが、部屋自体はそれほど汚れてはいなかった。
「由紀ちゃん、保健室で検査受けてたんだよね?」
「は、はい」
今度はすぐに返事をした。返事をしなければ、凄まれて恐い思いをすることになる。何より、田原を怒らせてしまうことが恐かった。
「じゃあ今日は、俺らが検査してあげる」
「え・・・」
田原の言葉に、由紀の視線が凍りついた。