知らせ

プシュー、という空気が抜けるような音がしてバスの扉が開くと、制服を着た少女が運転手に軽く会釈をして出てきた。少女が降りたのを確認すると、重苦しいエンジン音と共にバスが発車し、K村と書かれた小さなバス停の標識と少女がポツンと残された。辺りは田んぼや畑が多く、山間の小さな農村という雰囲気だ。少し離れた林からセミの鳴き声が響いている。

少女がバスとは逆の方向に歩き出す。少し幼さを残すかわいらしい顔立ちにボブカットが良く似合っている。半袖の白い夏服と、透き通るような肌が初夏の日差しに眩しい。その眩しさを際立たせる濃紺のプリーツスカートと右手のカバンは、少女が学生───それも高校生以下───であることを如実に物語っていた。

少女が歩を進める度に黒のローファーがコツコツと音を立てる。その音が不意に遮られた。

「真奈美ちゃん、ちょっと来て!」

と、道路の脇にある畑で作業をしていた女が少女に声をかけた。どうやら少女の名前は真奈美というらしい。真奈美は左手で日差しを遮り、体全体を倒すようにして声のした方を見る。と、青々と茂った緑の葉の向こうに麦わら帽子とタオルで身を固めた叔母の姿が見えた。真奈美はアスファルトで舗装された道路から土が剥き出しになった畑に下り、小走りで畑の畝の間を叔母の方に近づいていった。

「おばさん、ただいま」

挨拶が終わるか終わらないかというところで、叔母が口を開いた。

「真奈美ちゃん、学校で伝染病が発生したかもしれないって?」

「え・・・?知らないよ」

叔母の突然の言葉に真奈美は驚いた表情を見せる。

「さっき大学病院の先生がいらっしゃって、真奈美ちゃんが帰ってきたら公民館まで来てくださいって。あたしは予防の薬を貰って飲んだけど、真奈美ちゃんはきちんと検査しないといけないからって。放っておくと命に関わることもあるみたいだから、急いで行ってきなさい」

「う、うん」

伝染病の話は初耳だったが、命に関わるという言葉を聞いてただ事ではないと思った。真奈美は来た時と同じように小走りで道路まで戻ると、少し大きな歩幅で来た道を戻り始めた。

真奈美はS大学付属第一高校に通う3年生。K村にある親戚の家に下宿しており、高校まではバスと電車で2時間程かけて通っていた。高校には寮もあったが、両親のたっての希望で親戚の家に下宿することになったのだ。今日は社会科見学ということで学校は午前中で終了している。少し友達と寄り道をしたが、まだ16時を少し回ったところだ。

公民館へ急ぎながら真奈美は家を出てから今までの行動を頭に思い浮かべてみた。いつものようにバスで駅へ行きそこから電車に乗った。最寄駅で電車を降りて学校へ行き授業を受けた。2時間目以降は社会科見学ということで、5~6人ずつ班に分かれての活動だった。真奈美はクラスの男子4人と一緒に、S大学のネットワーク管理をしている人物に会って話を聞いてきたのだった。その後一旦学校に戻ってから解散し、気の合う友達と暫くおしゃべりに興じてからいつもと同じように帰ってきた。

道端で遊んでいる子供達を横目に公民館への道を急ぐ。一日の行動を思い返してみても、特に気になることは無かった。伝染病という言葉は知っているが、それは本や新聞の中だけのことであって、まさか自分に降りかかってくるとは夢にも思っていなかった。

そんな事を考えているうちに公民館に着く。公民館といっても平屋の一軒屋程度の大きさで、部屋も3つしかない。この村で唯一鉄筋コンクリートで出来た建物だ。「K村児童等共用施設」と書かれた表札を横目に正面玄関をくぐると、白衣を着た男が廊下の真中に立って携帯電話で何か話していた。年の頃は30歳くらいだろうか。短く刈った髪がサッパリとした印象を与えている。膝まである白衣を着ているため、医療関係者であることは容易に想像できた。

男は真奈美に気付くと電話を切り、小走りで近づいてきた。リノリウムの白い床に、パタパタとスリッパが音をたてる。男は真奈美の制服の胸ポケットに縫い付けられている小さな名札にちらりと目をやって、入ってきたのが真奈美であると確認すると、少し急いだ口調で話し始めた。

「田中真奈美さんですね?お母さんにはお話ししましたが、今日S大学のネットワーク管理者にお会いになりましたよね?彼があるウイルスの保菌者であることが判明し、本日接触した5人の生徒さんは全員その検査を受けていただいているんですよ」

真奈美が返事をする暇を与えないかのように、男は一気にまくし立てた。はあ、と真奈美は男の勢いに気押されたような返事をしてしまう。

「さ、こちらへどうぞ」

男はそう言って奥の部屋へ歩き始めた。真奈美は靴を揃えて廊下に上がると、傍に並べられた大量のスリッパからひとつを選んで履いて、急いで男について行った。2人分の足音が廊下にパタパタと響いた。

男に続いて部屋の中に入ると、小さなベッドのような診察台や、金属やガラスで出来た医療器具が乗せられたワゴンが目に入った。一見すると病院の診察室のようだ。元々は長机とパイプ椅子が並べられていたはずだが、それらは追いやられるように、部屋の隅に折りたたまれていた。どうやらセミナー室を一時的に医務室として使用しているようだった。壁や床が白いこともあって、部屋の中はかなり明るく感じられた。

「先生、田中さんです」

男が言うと、白い布の仕切りの陰から別の男が出てきた。白衣の胸にカードが付けられており、顔写真の横にS大学付属病院内科 柴田と書かれている。それに気付いて最初の男の胸を見ると、同じく看護師萩原と書かれていた。そういえば看護婦という言葉は使わなくなったんだっけ、と真奈美は思った。

「田中さんがウイルスに感染したかもしれないという話は既にご存知かと思います。実際に感染しているかはこれから検査してみないと判りませんが、もし感染していた場合、放っておくと命の危険があります。もちろん周囲に感染を広げてしまう可能性もあります。ご協力をお願いします」

柴田という男が、真奈美の目をじっと見ながら真剣な様子で話をする。真奈美は想像していたよりも緊迫した雰囲気に、緊張した面持ちで「はい」と答えた。事前に話を聞いていたとはいえ、実際に目の前で医者に真剣な表情で話をされると緊張してしまう。今から受ける検査はとても大事なことなのだ、と真奈美は自分自身に言い聞かせた。

「ご協力感謝します。田中さんは女性ですし、検査によっては少し恥ずかしいと思われることもあるかもしれませんが、大事な検査ですのでよろしくお願いします」

真奈美は少し不安になったが、病気の診察で医者に肌を見せる事は初めてではない。改めて大切な事なのだと自分に言い聞かせると、「はい」と返事をした。